田畑 功 銅像 ブログ
銅像制作/NHK大河ドラマ「江」三姉妹像【北の庄城址公園内】
2011-01-09
- お知らせ
「三姉妹の像の制作にあたって」
㈱シー・エス・ケーの「題名 時の風 旅立ち」 これからの時代を生きていく三姉妹にとり、北の庄の地は出発点というべき原点である。茶々は、二人の妹を見るべく気丈なしっかり者の性格であろうと思われる。父親似で少しポッチャリな雰意気と涼しき目もとの顔立ち。初は、晩年思いやりの深い人だったので優しさを強調。江は、母親似で高貴なイメージを。像は語るべきして語るものではない。いろんな人の人生感なり歴史上の物事を背景にしたり種々な視点があるものだ。お市を制作した私にとっては、三姉妹の像を見守る、お市像との融合性を尊重したい。それ故、落城の折の旅姿ではなく、華麗に優しく繊細に。来るべき未来を生きる三姉妹の強くたくましき姿を14・13・10歳の年齢の中で伝えるべく「時の風」を感じながら、深き人生の門出を間接的イメージに表現させていただいた。昨年の12月11日に除幕され、今日からNHK大河ドラマが始まります。
江【中央】
三女。徳川秀忠に嫁ぎました。大坂の陣では、徳川方として甥・豊臣秀頼、姉・茶々と対立しました。江の三女・勝姫は福井藩二代藩主・松平忠直に嫁ぎ、祖母・お市の方や母・江が暮らした福井で暮らすことになります。また、江の四女・初姫は、義兄・京極高次(小浜藩主) 、妹・初の継嗣である忠高に嫁ぎました。
茶々【左】
長女。豊臣秀吉に嫁ぎ、後に淀殿と呼ばれるようになりました。秀吉亡き後は、子・秀頼の後見人として豊臣家の実権を握りましたが、徳川家康、義弟・徳川秀忠、妹・江 と対立し、大坂の陣で敗れ秀頼とともに自害しました。
初【右】
二女。京極高次に嫁ぎました。高次は、関ヶ原の戦いの後、小浜を治めます。甥・豊臣秀頼、姉・淀殿と徳川家康、義弟・徳川秀忠、妹・江が対立するようになると、初は仲介に奔走しました。しかし、その甲斐なく、大坂の陣が起こり、秀頼、淀殿は自害しました。
お市像
たおやかでいて凛とした美貌のお市像
(平成13年作)
お市像
手水舎の隣、勝家像の隣りに、お市の銅像が西向きに建つ。お市は、尾張にいた頃から美貌の持ち主として世に知られていた、織田信長の実妹だ。政略結婚で、2歳年上の近江小谷城主浅井長政に嫁ぎ、2男3女をもうけたが、夫と兄の対立が激化し、織田軍の攻撃で小谷城は落城。長政は自刃し、お市は落城寸前に信長のもとへ送り返された。後に3人の娘を連れて柴田勝家に嫁ぐが、半年後の天正11年(1583)4月に豊臣軍に北の庄城を囲まれてしまう。勝家は脱出をすすめるが、落城の悲しみを繰り返したくないと拒み、3人の娘たちを逃がしてから勝家と運命をともにした。