田畑 功 銅像 ブログ
銅像制作/佐久間象山馬上像除幕式【長野市松代町】
2010-10-19
- お知らせ
佐久間象山公騎馬像建立【象山神社前】
9月26日に長野松代町象山神社にて北沢防衛庁長官も出席され除幕されました。
佐久間象山は、文化8年(1811年)2月28日、信濃松代藩士・佐久間一学の長男として生まれる。象山の号は近隣の黄檗宗象山恵明(ぞうざんえみょう)禅寺に因んだとされる。その呼称については、一般に”しょうざん”、地元では”ぞうざん”と呼ばれており、弘化2年に象山自身が松代本誓寺への奉納文書に「後の人我が名を呼ぶなばまさに知るべし」と反切法を用いて”しょうざん”と呼ぶように書き残している。象山は松代藩の下級武士の出であり、若年期に経学と数学を学んだ。とりわけ象山は数学に興味を示し、熱心に学んだ。若年期に数学の素養を深く身に着けたことは、この後の彼の洋学吸収に大きく益した。彼の門弟には前述の吉田松陰をはじめ、小林虎三郎や勝海舟、河井継之助、橋本左内、岡見清熙(慶應義塾の前身である蘭学塾を開設した人物)、加藤弘之など、後の日本を担う人物が多数おり、幕末の動乱期に多大な影響を与えたことも事実である。坂本龍馬に「僕の血を継いだ子供は必ず大成する。そのため、僕の子供をたくさん生めるような、、大きな尻の女を招介してほしい」と頼んだこともある。そしてペリーが唯一頭を下げた日本人。大きな尻の女を招介してほしい」と頼んだこともある。そしてペリーが唯一頭を下げた日本人であるとされている。