佐久間象山馬上像除幕式[長野松代町象山神社前]
2010年10月19日 火曜日 銅像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9月7日に設置、すばらしい天候にめぐまれました。

 

 

・・・・・・・・・・・9月26日に長野松代町象山神社にて北沢防衛庁長官も出席され除幕されました。

佐久間象山は、文化8年(1811年)2月28日、信濃松代藩士・佐久間一学の長男として生まれる。象山の号は近隣の黄檗宗象山恵明(ぞうざんえみょう)禅寺に因んだとされる。その呼称については、一般に”しょうざん”、地元では”ぞうざん”と呼ばれており、弘化2年に象山自身が松代本誓寺への奉納文書に「後の人我が名を呼ぶなばまさに知るべし」と反切法を用いて”しょうざん”と呼ぶように書き残している。象山は松代藩の下級武士の出であり、若年期に経学と数学を学んだ。とりわけ象山は数学に興味を示し、熱心に学んだ。若年期に数学の素養を深く身に着けたことは、この後の彼の洋学吸収に大きく益した。彼の門弟には前述の吉田松陰をはじめ、小林虎三郎や勝海舟河井継之助橋本左内岡見清熙(慶應義塾の前身である蘭学塾を開設した人物)、加藤弘之など、後の日本を担う人物が多数おり、幕末の動乱期に多大な影響を与えたことも事実である。坂本龍馬に「僕の血を継いだ子供は必ず大成する。そのため、僕の子供をたくさん生めるような、、大きな尻の女を招介してほしい」と頼んだこともある。そしてペリーが唯一頭を下げた日本人。大きな尻の女を招介してほしい」と頼んだこともある。そしてペリーが唯一頭を下げた日本人であるとされている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・であるとされてい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

加藤嘉明公[伊予松山20万石大名1563~1631]松山城
2010年10月16日 土曜日 銅像

今年、五月十二日に松山城ケーブル駅横に建立され、松山市長,松山市民,ライオンズクラブの皆さんと共に除幕されました。観光の一役に立てたらと思います。

・・大会委員長の清水信行さん(右)と私。

 


松山中央ライオンズクラブCN45周年記念事業の一環として加藤嘉明公の銅像の制作依頼された
事は、大変光栄な事だと思います。最初に大体の構想として、七本槍の一人で、槍の名手でもあった嘉明公、右手に槍を持ち、馬に跨り左手で手綱を引き畏怖堂々とした威厳のある作品にしたいと思い、5分の1のミニチュアに取り掛かりました。その後、松山へ行き、城の中の鎧、資料などそして設置場所を見せて頂き制作にかかりました。ミニチュアの時は、槍を持った面が正面だと思って制作していたのですが設置場所を見た時に少し顔の向きを変えた方がよいと思い、現在ように成りました。設置場所は人通りが多いので、大勢の人に観て触れていただけると思いました。又この場所に松や花々や石などをバランスよく設置して頂き、像が以前からこの場所に在ったかのように見えた事はスタッフの皆様に感謝致しますそして最後になりますが、信頼し仕事をさせて頂いた松山中央ライオンズクラブの皆様そして大会委員長、清水信行様に深く感謝申し上げます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・