ブロンズ像、銅像の修理、修復(メンテナンス)の専門店
2013年5月8日 水曜日 blog

【ブロンズ像の修復について】 

(有)田畑功彫刻研究所では、雨の跡がとれない銅像、汚れがついて変色してしまった銅像、破損してしまった銅像など、ブロンズ像のいかなる修復でもお応えすることができます。 「こんなになったら、もうだめだろう」とあきらめずに、一度ご相談ください。

【修理、修復の実績】

修復前(竜の口噴水の場合)

現地で外して送って頂き修理修復、青銅に着色、新品と変りません。

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修復前                    修復後

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【自分でできる簡単なメンテナンス】

・鳥の糞や塵、埃をそのままにしておくと、徐々に金属が腐食してきます。こまめに鳥の糞は、取り除き、年に一度、水洗いして柔らかい布で拭いて下さい。また各種のコーティング材(被膜材)が開発され市販されています。状況に応じてワックスに替わり皮膜を作り、作品を保護します。その保護力もかなり強いものがあります

・酸性雨は、銅像には、あまりよくありません。酸性雨で汚れてきたら、タワシを使って水洗いし、顔料を使って補修します。この作業は、素人には、むずかしい。

【色直しの仕事の前にお尋ね頂く事は、下記の要件です。】

1.移動可能かどうか

・ 移動付不可の場合は現場にて、移動可能な場合は弊社工場にて作業いたします。

2.現場写真が数枚必要です。

・全体写真 ・修理箇所

下記の写真は、滋賀県長浜北小学校に50年前建立された銅像です。あまりにも、破損、劣化が進んでいた為、修復する事になり、工場に持ち込んで、修復、化粧直しをし、納品、設置をさせて頂きました。


修復前(台座から外し工場へ)


工場で修理、化粧直しをして運搬設置へ
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※経費

・銅像(ブロンズ像)の修理費用
・銅像の往復の荷造り費及び運搬費用
・現場までの出張費用(移動不可能な場合)

※ご依頼は(有)田畑功彫刻研究所へ銅像・ブロンズ像・モニュメント等の破損の補修や色直しは、当社で行っております。全国に出張いたしますので、ご相談ください。
※フリーダイヤル0120‐15‐3625
高岡市羽広2‐7‐21 担当田畑
E-mail :info@habiro-art.com

 

 

 

 

 

 

 

こしひかりの生みの親、故石墨慶一郎の銅像制作[北日本新聞]
2013年5月5日 日曜日 blog

完成した石墨さんの銅像を見つめる田畑さん=高岡市内の着色工場

高岡市羽広の彫刻家、田畑功さん(58)=日展会員=が、コシヒカリの生みの親として知られる故石墨慶一郎さん(1921~2001年)の銅像を作った。石墨さんの出身地、福井県坂井市丸岡町舟寄の住民からの依頼を受け、命日の6日に同地区内の公民館近くに建立される。石墨さんは福井県農事試験場(現・県農業試験場)に勤務し、稲の品種改良に携わった。1956年にコシヒカリを生み出し、味の良さや冷害に強いことなどから評判が広がった。米穀安定供給確保支援機構(東京)によると、コシヒカリは2011年の全国水稲作付割合の約40%を占める。昨春、同県坂井市丸岡町舟寄の住民有志が「石墨博士顕彰委員会」(会長・坂本同市長)を立ち上げ、コシヒカリを育成した石墨さんが生まれ育った古里をアピールしようと銅像建立を計画した。県内に建つ像をいくつも手掛けた田畑さんを知り、制作を依頼した。
完成した銅像は、高さ約185センチ。等身大で顔写真やスナップ写真を参考に約3カ月かけて制作。長靴と作業服姿で、右手にコシヒカリの稲穂を高く掲げる。田畑さんのアイデアで、博士号を持つ石墨さんらしく白衣を着せた。田畑さんは「コシヒカリは日本の農業に欠くことができない品種。像を手掛けられて光栄に思う」と話している。6日に現地で行われる除幕式にも出席する。

神社へ狛犬の銅像建立
2013年5月2日 木曜日 blog

狛犬の銅像建立へ

石も良し、ブロンズは、もっと素晴らしいです。お問い合わせは、 (有)田畑功彫刻研究所〔0766-25-3625〕へ

価格(日展審査員・田畑功作)

2,5尺〔75cm×75cm×30cm〕 3,700,000

3尺〔90cm×90cm×40cm〕 4,250,000

銘板、消費税別です。新たに製作する事も可能、ご相談下さい。

ご依頼は、(有)田畑功彫刻研究所 担当 田畑0766-25-3625     E-mail :info@habiro-art.com

コシヒカリの生みの親、石墨慶一郎博士銅像建立へ(福井・丸岡町)
2013年5月1日 水曜日 blog

丸岡町舟寄地区住民銅像建立へ

 

コシヒカリの生みの親として知られる石墨慶一郎博士(一九二一~二〇〇一)の功績をたたえようと、出身地の坂井市丸岡町舟寄地区の住民らが、銅像建立の準備を進めていた。設置によりコシヒカリ発祥の地を広くアピールしていく考えだ。石墨博士は県農事試験場に勤務し、稲の品種改良を研究。一九五六(昭和三十一)年にコシヒカリを世に出した。食味の良さで評判が広がり、長く国内の作付面積日本一を誇っている。地区内を流れる十郷用水のパイプライン化に伴う用地の有効利用を検討する中、銅像建立の案が出された。昨年四月に約四十人で顕彰委員会を立ち上げ、会長に坂本憲男市長が就いた。

高椋西部公民館東側の空き地にブロンズ製で建立し、大きさは等身大の一・八五メートル。現役時代の写真をもとに、高く掲げた右手にコシヒカリの稲穂を持つポーズで、高さ約一・六メートルの御影石製の台座に載せた。事業費の大半は区民の寄付でまかなった。像の前には幅一・五メートル、長さ七メートルのミニ水田を作り、コシヒカリの親の農林22号と農林1号を植えて、生育状態を観察できるようにする。

日展審査員で彫刻家の田畑功さん(57)=富山県高岡市=に制作を依頼し、三月十八日に粘土原型を検品した。四月三十日に完成、五月六日に除幕式がある。四日の事業発表会で、坂本市長は「コシヒカリ発祥の地として広くアピールするとともに、ふるさとの誇りとして永く栄誉をたたえていきたい」と話していた。 (福井新聞・本田優子)